LikeとLoveと。

最近映画やドラマを観る時間ができて、よくみるようになった。興味なかったけど、みんなが話題にしていたドラマや、出演者の組み合わせが不思議で面白いものを中心に観てみた。でも、なんか私の中でドラマや映画に関する感覚が変わってしまっていた自分がいたのに気付いた。それは上手に表せない”何か”の違和感に近い”何か”なんだ。もしかしていたら、忘れていた”何か”なのかもしれないし、うわべの”何か”かもしれない。とっても曖昧なその感覚だけど、でも何かの中で言えない”何か”の部分なのもよくわかる。

自動販売機の(なんていうんだろう。裏観たことある人しかわからないね(笑))段が変わるような。上の段にジュースが全部そろってたら、そこが満たされて”現在(イマ)”の扱いと基準になるんだけど、真ん中や下の段にジュースが入ってないところがあると、それはガタンガタンと音を立てて、順番に補充されていくところの部分の段階が優先順位で”現在(イマ)”の途中になってる今で、補充されたら優先順位がまた変わるみたいな。(苦笑)もっともわかりにくいたとえだけど、そんな感じ。

今の私はきっと、全部の自動販売機のなかがLIKEで(笑)LOVEでは決してなくて。どれか1番好きなジュース選んで!って言われたら、う~~~ん。特にほしいものはなくて、一番無難な”水”を選ぶくらいの感じ。

それは、自分の人生を大きく変えるようなたくさんのことから、最終的に(今の段階で)起きたLikeとLoveの狭間で自分が葛藤しまくった結果かもしれないなと思う。Loveになるような要素が自分の中にいろんなことに対して薄れてしまったというか、いい言い方すれば、すべてが平等に見えてきたのか。逆を言えば無気力無感情?いや、そこまではないか(笑)

結局アングルの違いかもしれないということだ。私のなかのね。

きっとすべてをフレームインしたところから私がフレーム通して観てるのかもしれないな。それは浅く広いのか、深く狭いのか。今の私からすれば、深く狭いのは家族の中のフレームで(大事な核)浅く広いのは自分の生きていく周りの状況や環境なのかもしれない。私の深く狭いフレームのキャパは多くない(笑)それはよく自分でわかっている。家族でもそれができないときもあるけど、今はできる。

そんな今日は小学校のころの夏休みの感じがする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA