子どもだった時の記憶を探る。

ふと朝食を食べながら、視線を感じた先をみてみると、キッチンカウンターに母が飾っていた小学校低学年の子どもの私と弟の写真だった。その写真立ての中の私は満面の笑みを浮かべて、弟はそれを見ている様子のなんてない写真。

あぁ。このときはたしかに子どもだった私がいたなぁ。と思った。

写真に写った自分の後ろをみながら、この家は本当にお化け屋敷で。ひどかった。。本当に。そんなことを思い出した。年を重ねるにつれ、思い出し方の内容や視点の度合いが違うことに気づくし、そういった部分の自分自身の面白さを感じる。

山の中の一軒家。そして、一人で家にいても常に人の気配がしている家だった。家相の問題だったと思う。人の視線・足音・気配が常にする家。そして、泥棒やいたずら電話が頻繁で。モンスターハウスだった。そういう勘が鈍い子でさえ感じるほどだった。この家では本当に数えきれないほどの怖い出来事や、わたしたちにとっては悲劇なこともたくさん起きた。それに終止符がうてたのは、父が自己破産したとき。中古で購入した持ち家だったそこは、差し押さえになり、わたしたちは一家で引っ越しをすることになったのだ。そのおかげで、あらゆるネガティブな現象から抜け出すことができた。それでも、引っ越し先には、感覚人間のわたしには、いきなり洗礼をうけるという(苦笑)出来事があり、その家に帰って夜眠るのが怖くなり、夜通し遊んで明け方帰ってきて仮眠するという時期をほんの数か月過ごしてから、私は熊本に引っ越した。

私自身のセッションをメンターさんにお願いするときに、人格分離の話をするんだけど。これはうまく説明できなくて。単純に言えば、今(現在)の私が、その子ども時代に共存していたということ。なので何も変わっていなくて。っていっても多分なかなか理解してもらえなくてね。こどもの時代の自分を思い出せる自分がいたということにも気づけたのでした。ああ。何かいているかわからないかもしれませんけど。その時のこどもの部分が見えたことに、少しほっとした自分なのです。

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