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血なんていつだってつながっていく。血のつながりというものはなんだろう?

なぜだか私は、子どものころから昔でいう「乳児院・児童養護施設」に関心があった。高校生ぐらいから、そういうところで働きたいと思うようになっていた。だけど、学校に行く家庭環境と経済的状況になかったので行けなかったのだけど。そのあと、福祉施設では働いていたのですが、そこではなかったのです。なぜそんなにも特に乳児院で働きたかったのか、いまだに謎なんですが、どちらかというと懐かしい気分に近かったからです。前世でそういう場所にいたから(というか、思い出した!それ言われたんだった。。。そういう前世がありましたよ。って言われたのは、まだここ数年前の話。今つながった!!!!)ですね。。。子どもはでも苦手なんだよな~と今世の自分が思うのですが(苦笑)あ!それで話は戻して、私は子どもができない体質だったのです。(10か所くらい産婦人科行ったのですが、すべてそこで無理でしょうね・・・と言われたのでした)小学校6年生の後半から生理が始まり、中学から20歳気づくまで生理はほぼ止まっており、たま~にでした。10年くらいまともに来たことがありませんでした。家庭の事情で、そのようなことも話したことありませんし、それが深刻な状態であるということも気づきませんで、なくてラクチン!なお気楽にしていました。いや、それどこじゃなかったのも確か。母は寝たきり。父はアルコール依存と酒乱、そして日頃のストレスから短気爆発。そんな顔色を見ながら、そして母は寝たきりといっても、精神的に病んでおり、自殺行為、異常行為の繰り返しで1日1日が気が気ではありませんでした。家事、家のことをしながら中学や高校に通いました。高校は経済的な理由で、学費免除してもらいました。しかしそこに至るにもいろいろとあったのですが、とりあえず私自身の精神疲労が半端ない状態もありましたが、あれは若いという気力と体力だからこそ乗り越えられていたところもあると今は思います。そんなこんなで私も結婚という時期を迎えてみたのですが、もちろん相手にも私には子どもできませんと伝えておいたのですが、それはそれでOKということで結婚はしてみました。だけど、結婚したもののやっぱりお母さんになってみたいという思いもありました。それでも、産婦人科では無理でしょうねぇ・・と言われたから。その時、特別養子縁組や里親制度やいろいろ調べたりして、本気で子どもを育てたいと思っていた時期があった。だから当時の旦那にその話をしたりもしていた。だけどね。なかなか。。そうこうしていると、私自身突然流産という現象に襲われ、病院に行って妊娠していたことに気づかされる。(順番逆だけど。。。)いや、妊娠できない!と言われていたから、気づかなかったんだ。生理もきたりこなかったり、ほぼ来ない。。。とかね。だから余計気づかなかった。もうその時はすでに家庭内別居というか私の心がもう無理でその家から離れていた。だから、もしこれで妊娠気づいて産むことになっていたらどうしてただろうと私は一瞬ゾッとしたんだ。この家にいなければならないのか・・・子どものために。。いや一人出て子ども育てていけるか?いや、それもまだ無理やん・・とかね。でもね、今考えれば生まれてたら一人で育ててたと思う(笑)私ってそういうやつやん(笑)なんとかしてでもしてたと思うけど。自分が産めるからだなんだ~ってその時、初めて知ったし。それでもね、今は一人だから。年齢も年齢なので自分の子どもをもつという選択肢はもうほぼないのですが。(いや、わからん。。相手におるかもしれん。まだ相手おらんけど(笑))本気で守れる行動力があるなら、養子縁組も悪くないと思うのです。家族ってもともとは血はつながってないところから始まるじゃないですか。。それに一緒に住んでたらどんどん変わる。そして何より家族ができて、増えてって大変なこともあるけど。うれしいことが大きいやないですか。社会は家族からですもんね。今でも私、経済力あるなら育ててみたいと思いますもん。自分の家族を作るという形で。いろんな思考や形態があるようにそういう取り組みも積極的にしていっていい気がする。もちろん、そういう1人でいなきゃいけない子どもたちが増えないのが1番だけどね。今日はこの記事に目が行きましたので書きました。

「この子は心の中にいた・・・」https://news.yahoo.co.jp/feature/947