無意識と意識。

昨日の記事(私を泣かせてください)を書いていて思った。

人が生まれてもともと持っていた部分をなんらかの理由でなくした時に、他の部分が補うという自分で書きながら実際そうだよな(負担がある無しが大きいけどね)っと思ったのです。自分も大きなけがなどをしたことが度々(笑)あるから。それで、ふともう何年も前に見たTVのことを思い出した。なぜかそこの場面だけがとても印象的だったのだ。片腕がない方が、鏡ごし(鏡を自分の顔の真ん中位置に置く、体が鏡で半分になるような感じ。)に自分の手を合わせた時、脳が両手があるという風に錯覚を起こしてものが取れる?みたいな感じだったかな・・・それみておもいついた!

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(※弥生画伯ですが(爆)わかるかな・・・・・・)

もしかしたら、そう錯覚させることが、痛みの軽減になったりするのではないかとか(実際にそういう医療法があるのかもしれないけど)思ったわけです。実はうちの父親が片腕で生きてきた人なので、その反動が年老いて、頸椎、腰、肩、足に来てまれな病気になっているのです。やっぱり、片方だけに重心がかかったりする状態で日々過ごしていると、どうしても通常より激しく消耗していきます。結果、神経がすり減ったり、骨がすかすかになってしまったりで、移植しての繰り返しです。例えば、自分の身体をだますといういい方はおかしいですか、そういう風な緩和ができたらずいぶん違うのではないかなぁ~。思い込ませたり刷り込ませるようなイメージをいい風に使う的な。これすべてにつながってるんだよね。結局どういう環境にいるか、どういう風に無の状態から教えやしつけが入ったかというのも(もちろん大人になって自分で判断できるようになっていくのだけどそうだとしても、無意識・意識の違いはあるのだよな)おおもとから認識できたら違うのかな~って思ってたことがたまたま自分のなかから感じだたんだけどね(笑)で。私が昨年からやっている無意識と仲良くなるムーンカレンダー(ホノカ社)の講座、そこに意味があると思うのね。私の中では無意識=当たり前になってること だと思っているので、あえて意識してみることで、自分の思考や古いパターンなどが見えてくるのではないかと思う。そして自分の流れも。

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またまた弥生画伯(爆)の意味わからん絵だけど。とりあえず無意識くんと意識ちゃん♪(笑)なんだか自分の似顔絵のようだわね(笑)本当に自分と向き合いたくて、自分の恥ずかしいと思ってた部分とか、忘れてた感情とか、懐かしさとか、さみしさとか、愚かだと思ってしまってたこととか、直面から見れるようになると、ずいぶん変わるね。自分が自分でいいんだって思えるようになる。身体の中に脊髄のような芯が通り始めたような気がしてる。いうならばわりかし泥臭い(笑)けど、あたたかい。そんな感じ。もっと言葉を知っていたなら、この無意識と意識の説明を上手にできるのかもしれないなと思う。だからと言って、これを知ってる人がえらいとかそういう問題ではない。むしろぽっかり空きすぎた自分の穴を癒すようなイメージに私的には近い。今、自分を生きてると初めて気づけたような感覚です。嫌なことも、いいことも全部ひっくるめてね。それがすべてがいとおしく思うような感覚。だからこそ、自分にふさわしくないエネルギーの場所や、グレードダウンさせるような波動を持ち合わせた人や場所にはいたくないのです。それは一人一人違う。その場所も、人も。だからといって相手が悪いわけでも、自分が悪いわけでもなく、合わせる必要もなく。ただただ、生きたい方向と、向いてる方向が違う。というだけなのです。

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