baba2今日は起きたら雪景色でした。今年は本当に冷える。今HPを移行させているのですが、そういえば昨年パソコンリカバリ時にデータを全部外付けHDDに移行させていたので、写真やらなんやら探すのが一苦労(笑)いつも作業してたフォルダの場所がなくて全部HDDに行ってるもんだから、フォルダ何に入れたっけとか探すところから始めてつかれてやめるっていう悪循環。でも、そうこうしていると懐かしい写真が出てきて(片付けの時に手紙や写真が出てきて読みふけって終わるってのと一緒(笑))見入っていたら、あっという間に時間がたってしまうという。ばーちゃんっこだったらしい私は、ばーちゃんによく似ているらしい。ばーちゃんは私が小学校2年生のころか3年生くらいでなくなった。今思った、私そういえば顔をまじまじとみたことなかった。この写真。というかばーちゃんとの記憶は、言葉のやりとりとか断片的に思い出しているだけで、ほぼ覚えてないけど、存在だけは感じたままだ。そうそう、それが私の癖だ。って思い出した。シルエット的にしか、覚えてなくて、ばーちゃんの顔をまじまじみたのは30年以上たって今の今かもしれない。本人ではなくて、この写真で今よく見たのかもしれない。昔8トラック盤のカラオケがうちにあって、それでばーちゃんがよく「岸壁の母」を歌っていたのを思い出した。保育園児ながら何度も聴かされるその歌は、タイトルをいまだに覚えておくほど強烈だったのかもしれない(笑)このばーちゃんは父方の祖母。広島に引っ越してから、先に来ていたばーちゃんたちとは、しばらくして一緒に住むようになりました。やっぱり私は幼少期からワンクッションおいて人と付き合う癖があったんだろうなと今思い出しながらもそう思う。ばーちゃんの畑仕事手伝いながらも、野蒜の取り方や、いろいろ教えてもらった気がしたんだけど、それでもなんでかその思い出というより、野蒜のことを覚えている割合が高い。だからその時ばーちゃんが、どんな姿で、どんなふうに畑仕事していたという記憶は全くなくて、そこでもただ存在を感じつつ、若干客観的な他人事のように、畑に植えたものだけが食べれるわけではないと知ったことに感動したような気がする。たぶん、当初からあんまり人に興味がなかったのだ(というような言い方の方がわかりよいかも。)ばーちゃんは、郵便局の清掃の仕事していた。ばーちゃん若くして亡くなった気がする。じーちゃんはね、父が中学校の時に亡くなったらしいので、当然あったことはないけど、存在だけではお会いしたことがあります(笑)向こうからの(笑)ミディアムシップでね。

どっちかというと今までいた動物たちの顔の方がよく覚えているかもしれない(笑)しかし、ばーちゃんのインパクトがあるのは、どうしても母方のばーちゃんのほうが印象が強い、顔も思い出も覚えているのは、母方のばーちゃんだ。結局、一緒に住んでいたばーちゃんと似てるというのは、その辺なのかもしれない、客観的に接するってところが(笑)

しかし、小さいころから黒目が濃いな。それが嫌だったんだった、写真撮ると必ず一人だけ目が真っ黒の状態で写る。学校の集合写真とか特に!一人だけ真っ黒。なんでなのかなぁ。。。
今頃になってね、心から子どものころのこと思い出したり、家族という人たちのことを思い出したりしている。それが今感情が現実になっている感じ。置き去りにしてきたその時の感情がね、ひとつひとつの存在を確認してるようなそんな日々でございます。今頃(笑)見て見ぬふりをしていた自分の中の感情と向き合い、直視する。

ばーちゃん、今頃ですが、いたずらっ子で、悪ガキんちょばっかりしてごめんなさい~(笑)怒られて締め出された記憶しかありません(爆)しかも何をして怒られたのかも記憶にありません(肝心なトコ・・・)たしかに自分の家族が存在していたことをひしひしと感じてます。

 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中