昨日の記事にダークな話ばかり書きましたが、実はまだまだそういう出来事だらけだったのです。それでね、私なんでいつも、こんなことばかり、目の当たりにして、そして、家もこんなぐちゃぐちゃな家庭で、そして学校行けばいじめにあっていたから、なんのために私生きてるのかわからなかったの。人間はこんなことを体験するために生きてるのか?と思ったら、生きてなくていい気がしてきたのね。ほんとに。孤独だった。居場所なかった。ずっと。

毎日が地獄でした。本当に。でもね、唯一、弟がいたからなんとか生きてきた。弟もいろいろあったみたいだけどね。そして考え着いた結果が、私が災いをもたらす人間なんじゃなかろうかということ。一番衝撃的だったのが、母親に「あんたなんか生まなきゃよかった」と言われたこと。その時、ああそうか、やっぱりねって思ったの。私がすべての疫病神なのかと。その時すべて、自分のせいだと思い込み、自殺をはかったのです。もう生きていてもしょうがないと。今思えば、笑い話です。人はそう思い込めば、そういう風になるのです。私は身をもって体験しましたから、思い切りどん底に入って見て。たくさん感じたことがありました。言葉だけの人たくさん目の当たりにしました。そして、何より、人は逃げてもいいのだということを気づきました。ここぞというときに、逃げる場所は大人が確保すべきだと感じました。無理にそれをする必要はないということです。例えば、学校が苦痛で苦痛でしょうがないとか、(なまけとかじゃなくて)あるなら、迷わず別の選択肢もあっていいと思うのです。フリースクールって私とっても効率的な気がします。また転校してもその場所が合えばいいと思うのです。

こういうルールじゃなきゃいけないは、人の可能性を狭め、洗脳に近い域に入る場合もあるということ。だから、相手が尊重できて、自分の生き方と、相手の生き方の違いを認められて初めて、調和すると思うのですよ。自分が認めたルールや物事が、当たり前と思ってたら、なかなか発展しないですよね。発想の転換は、その違いを認めるとこから始めると物事がたくさんあふれだして、アイディアとなり、人の縁となり、自分の居場所となっていくのだろうと思います。子どものうちは、自力ではなんともできないから、大人がそういう場所を作っていくのは大切なことだと思うのです。でもね、私みたいに幼少期に大人でいないといけなかった未だ癒されていない大人たちも多いのは事実です。だから、私は、子どもたちより、そういう大人のために何かを提供したかったのです。例えば、今やっているカードリーディング。そして、イベント。いずれはやってみたいと思っている、大人のための学校(今だからわかる!という感じの)大人が癒されていたら、子どもたちも自然とそうなるので、手ごわいのは大人たちのほうなんだ。子どもは柔軟で対応性があるから、環境が変われば、変われるのだ。それを提供できるのは、大人しかいない。大人が変われば、子どもたちも必然と変わる。だからこそ、大人の方がしっかり癒されなくちゃならないの。私はずっとそう思っている。癒しって、もちろん身体もだけど、私は意識することや、知恵、知識も含まれると思うのね。これって意識したり、知恵や知識を持つことで、かなり柔軟になれる。そう思うのです。

話は戻って、いろんな事件や事故を目の当たりにしたとき、疑われた方の人物も知っていた人だったのがあったんだけど、その疑われた人って、いわゆる知的障害があるといわれてたの。周りからね。だけど、私その人と話すとき、そんな風に感じなかった。ただちょっとろれつが回りにくいのかなというくらいだけど、一生懸命何かしゃべろうと努力されていたことしか思い出せない。ふと、静かになったとき見たまなざしは、優しくて強くて、どこか遠くをさみしそうに見てはいたけど、その瞳は、純粋そのものだった。その何も混じらない純粋な瞳の映像だけが強く脳裏に焼き付いている。なぜこの人が疑われるんだろう。人よりちょっと行動がゆっくりだけど。。。それだけで?と子どもながら思った。私にはあの純粋なまなざししか頭によぎらなかったから。その人は、後ほど、水死体で発見されてしまったのだけど。今ならわかる、霊的霊媒体質であるのかは、幼少期からしょうがないことだと思ってた。変人とか言われても、しょうがなかった。認めざるを得なかった。だからと言って、何か憑いてません?って言われても、私には何も見えない。なので、いつもお伝えするのは、本当にメッセージがある人同士だけ伝えてこられることが多いのです。だから、特に用事は(笑)ない人にはどうやっても、お伝え出来ません。私にはそんな力ありません。必要に迫られたときまれにそういう現象が起きます。リーディングのミディアムシップでも、その要素が高いです。本当に伝えたいこと、つながりたいことがあれば、映像なり、言葉なり、現れるなり(笑)向こうから勝手に伝えてきます。どうやってもね、出ない場合もあるのですよ。心はありますから。それぞれに。

人にはエネルギーが流れてる。私は人はエネルギー体の塊だと思っている。波動はその感情の起伏などで感じる。何も特別なことじゃない。誰だってそれを感じることはできるんだ。観ないふりをしていたり、それを特別と思い込んでしまって、アンテナを隠してしまってるだけなんだ。虫の知らせだって、そんなもの。例えば、部屋に入ったときなんか空気ちがうな?って感じるでしょう。あれだって、エネルギー波動。それが人の感情の塊だったりする。一番気づきやすいのは負のエネルギーだから、いかに負のエネルギーが人を消耗させるかよくわかるでしょう? 空気読めない人がいかに無敵かわかるよね(笑)誰にも左右されない。それってもっとも素晴らしいことなんだけどね。団体生活行動するうえでは、そこが大事な時もあるよね(笑)空気読める人=エネルギー波動感じやすい人たちということだと思います。だから何も特別ではない。実は空気読めない人の方が、自分らしく生きていけてる気がしますけどね(笑)人によりけりだけど、(良し悪しね)いろいろ思っても結局は、魂は肉体を借りて、自分で選択して生きてるってことだ。だから自分が生きる場所は自分で選択していっていい。ストーリーだって書き換えていくことは可能。生まれる前に自分が自分の親を決め、肉体を借り、ストーリーを決めて来たとするなら、書き換え可能なのは、自分だけだ。誰のせいでもなく、他力本願ではなく、唯一自分だけが変えていけるのだ。自分勝手に生きるのと、自分のために生きるのはまったく違う。だから、自分のために愛ある方を常に選択していけば、いいのだ~。と私は思います。というつぶやき(長い(笑))

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