わたしがわたしを解かす瞬間。

ダークな話題だけど、わたしには今これがしっくりくる。いまだからここに書きますが、わたしは幼い頃から人格分離を自分の中でしていて常に2人の人物が自分の中で同居していて、エネルギー消費の激しい出来事のときは、2人分同時にエネルギー使うのでとても疲れていた。みんななんでそんなに元気なんだろー?って。わたしは人間って、生きるってこういうことなんやろって子どもながらに思ってた。みんなも2人自分の中にいるんだって思ってた。あるときから急にみんなそんなことないて気づいた。たしか高校生くらいになって周りに話したらそんなことはないよ的なことを言われたの。わたしは死者の記憶を持つ子どもではなかったんだけど、こんな感じに分離。おとなのわたしといま現段階のわたしを両方いたの。おとなのわたしは、母親だったの。自分とかじゃなくて。誰かの母親だったの。子どものくせに赤ちゃんの扱いがうまく、犬や猫の子どもが生まれたらまたそれはそれで、扱いがうまかった。だれも教えてないのに、いつもおとなな自分がいて。それだけじゃなくて、気の利き方が子どもながらに、そしてすべてが感性が常に母親目線だった。まわりにやよいちゃんお母さんみたいって言われて。
ふと、我にかえってまた知らない間にとっさにやってしまった自分に恥ずかしく思っていた。
上から目線みたいに思われたりすることもしばしばで、子どもさながらの悩みを相談されるといまみたいに、大人目線で答えをぽろりと言ってしまい、ハッと我に返った時はすでに遅しで、周りからやよいちゃん冷たいと、言われたこともしばしば。今ならその言葉で大丈夫なことも、子どもは同調したり、みんな同じが美徳な時代もあるから。わたしみたいに子ども時代におとなびた的を得た意見をいえば非難ゴーゴー!笑いじめの原因にもなってたな。
だからね、今もそのおとなの自分は、成長しないまま今自分の中にいるわたしなんだ。子どものわたしは、遅れて成長してきてるのもよくわかる。10歳くらい差があると思う。
36歳のとき、大きな転機がおきた。この話の続きはまた。

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